2013年7月21日日曜日

第32回 帯広空襲を語る会


1945年7月15日午後3時頃、帯広空襲があり、大通南1丁目から西1条南1丁目付近では、5人の(17歳2人、16歳1人、9歳、1歳)尊い命が奪われました。

今年32回目を迎える「帯広空襲を語る会」・記念碑前での式典には29人の方が参加されました。

帯広市長代理の梅村市民活動推進課長は「核兵器廃絶平和都市宣言を行っている帯広市として、戦争の悲惨さを後世に伝え、平和を守る取り組みを行っていきたい」とあいさつされました。

私は、日本共産党十勝地区委員会を代表して「91年の歴史をもつ日本共産党。憲法9条を守り、二度と戦争が起こらないよう多くのみなさんと取り組んでいきたい」とあいさつしました。

「帯広空襲を語る会」では、満州から引き揚げてきた方の悲惨な戦争体験、終戦当時関東軍に所属していた方、帯広空襲の体験者の方々から、生々しい戦争体験が語られました。

「戦争は人が死ぬということが当たり前になる。それが恐ろしい」と戦争を二度と繰り返してはならないと多くの方が述べられ、平和の大切さを共有する会となりました。 とし子